『自分で考える練習――毎日の悩みを解決できる「哲学思考」』を出版しました

2017年3月2日(木)、KADOKAWAから私の最新刊となる『自分で考える練習――毎日の悩みを解決できる「哲学思考」』(著者: 平原 卓)を出版しました。

第一作目の『読まずに死ねない哲学名著50冊』から、ほぼ一年ぶりの作品です。今回は、歴史上の「名著」の紹介ではなく、哲学が何を目的として、どのように展開してきたかについて明らかにし、哲学が深めてきた原理(考えるための方法)を示すことを通じて、いま・ここで、私たち自身の問題について考えていくための可能性を明らかにしようと試みました。

『読まずに死ねない哲学名著50冊』を発表したときの記事では、「歴史的なコンテクストのうちに、哲学者たちの著作を位置づける」ことを試みたと書きましたが、『自分で考える練習』では、このモチーフを受け継いで、それを深めることを一つの目的として取り組みました。

世界史や日本史の受験勉強では、よく、タテの理解とヨコの理解、という表現が使われますが、哲学についても、それと同様のことが言えます。

個々の哲学者、哲学書は、歴史の文脈に置き入れたときに、はじめてその意義をよくつかむことができます。そのとき、私たちにとって哲学者の言葉は、何だかよく分からないけど、とりあえず有り難がっておけばいい「名言」ではなく、それぞれの「現実」の地平での問題との格闘を通じて練り上げられてきた強靱な原理として力強く働くはずです。

本書は、タテの理解をねらったものなので、それぞれの哲学者の思想について細かく確認することはしませんでした(もともと重複するような内容を書く気もありませんでした)。その点につきましては、『読まずに死ねない哲学名著50冊』を参照していただければと思います。2冊を合わせて読んでいただくと、哲学についての理解がより深まるのではないかと思います。

可能性を導くための哲学思考

哲学のタテの線を追っていくと、哲学において大事なのは、綺麗な言葉ではなく、「常識」が崩れてしまったときに、再び共通了解を編み上げなおすような考え方であることが分かります。

「魔法の言葉」は無いということ。それが腑に落ちたときに、はじめて、〈夢想〉を〈理想〉へと推し進めることができます。いまなお読まれている哲学者たちは、ほぼ例外なく、淡い夢を徹底的に断念して、しかしそこで投げ出すことなく、問題を解決し、誰もが納得しうる根本的な考え方を置くべく努力してきたひとたちです。プラトン、デカルト、カント、ニーチェ、フッサールはその代表です。

『自分で考える練習』の本文にも書きましたが、可能性は原理と方法が無ければ開けません。それらがあってこそ、目標が立ち現れ、それを実現しようとする意欲も生まれてきます。

私が同書で行いたかったことの一つは、優れた哲学者たちは、原理が〈夢想〉を〈理想〉に置き換え、可能性を導くための方法であるという確信のもと、ともに言葉を磨き上げてきたことを示すことにありました。それがどの程度上手く行っているかは、読者の方々の判断に委ねるほかありません。

章構成

本書は以下のような構成になっています。

第1章 哲学者たちは何を考えてきたのか
第2章  「考えるため」の哲学史
第3章 近代哲学から、私たちへ
第4章 自分の頭で考える練習

第1章では、哲学とはどういうもので、どう考えるのが哲学的と言えるかについて確認します。第2章では、古代ギリシアからヘーゲルまでの哲学上の主要な考え方について見ていき、第3章では、近代哲学からニーチェ、フッサールまでの流れと、それを踏まえた私たち自身の問題の考え方を示しています。第4章では、以上を踏まえて、家族、道徳、目標、恋愛、自由などをテーマに設定して、それらの意味について、実際に、哲学的に考えてみました。

なおここで、哲学的に考えるという際に大事な点は、それは決して、どこかに用意されている「正解」を言い当てるようなものではなく、ともに「了解」を作りあげていくことである、ということです。哲学者の言葉(名言を含めて)は、ただその目的に適うときにおいてのみ、哲学的な意義をもつということができます。

その点から言えば、第4章は、哲学的な「正解」を示しているわけではなく、あくまで、さしあたりは私の「了解」を示したものにすぎません。それがどの程度適切かどうかは、まさしく、読んでいただいた方々の吟味にかかっています。その点も含めて、感想を聞かせていただけると、大変ありがたく思います。

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