『本質学研究』第6号に論考を書きました

ウェブ学術誌『本質学研究』の第6号に、論考「自由論序説――自由の本質学のために」を書きました。

テーマは、魅力喪失後の自由を、〈自由無き幸福〉に対する「ぼんやりとした」魅力に対抗できる社会原理として鍛えていくためには、どうすればよいか、というものです。近代社会が現代の社会の原型として完成してきた頃に現れてきたオーギュスト・コントジョン・スチュアート・ミルの2人を対比して、現代に生きる私たちは自由をどのように位置づければよいだろうか、というのが全体の問題提起となっています。これに対する答えを与えるというよりは、議論の方向性を提起するものとして書きました。

近代社会が近代哲学の示した原理をもとにして展開してきたことは否定しがたい。ただ、近代が成熟していくなかで、自由から次第に「夢」としての魅力が剥落してくる。『yom yom』vol.54でも書きましたが、原理そのものは、私たちを動かしません。では、どうすれば〈自由な社会〉を実現するための原理を鍛えていくことができるか、また、その原理に即して、現実の社会における矛盾を解消していくことができるか。自由の魅力性以外に頼るものは無いのか。これが問題提起の中身です。論考では以下のように書きました。

〈自由な社会〉の正当性をめぐる問題は、原理的には既に決着を見ている。現代においては、自由な社会に代えて、不自由な社会を選択することに正当性は存在しない。だがそれは、一般に自由な社会が意識的に欲されていることを意味しない。権利的な不平等の解消を自由の現実化の指標と見る限り、現代の先進国においては、近代の夢はすでに事実となっている。だが、自由であることの閉塞感が生まれつつあるのもまた先進国においてである。

多少難しいかもしれませんが、ご興味があれば読んでいただけると嬉しいです。

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