[Q&A]一般意志はつねに正しい?

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ルソーの一般意志って本当にいつも正しいんですか?間違うこともあるのでは?

政府の正当性の規準として正しいものです

晩年のルソー
晩年のルソー

ルソー『社会契約論』で提示した「一般意志」に関して質問をいただきましたので、これに答えてみたいと思います。

質問のポイントは、「一般意志は本当にいつでも正しいのか?」というものです。

意志とは「利害関心」のこと

最初に確認しておくと、ルソーのいう意志とは一般に利害関心のことを指しています。一般意志には、合意に基づいて社会契約を結ぶ個人同士をつなぐ紐帯としての利害関心、という意味が込められています。「神の意志」のような形而上学的なニュアンスはありません。

ルソーは同時代のヒュームと並び、哲学史上、もっとも形而上学的な議論に陥ることのなかった哲学者のひとりに数えられます。文学的ロマンを社会論に持ち込むことなく、物理学者の取るような視線で議論を展開しました。デカルトのように数学の才能があったわけではないことを考えると、かなり異質な哲学者だということができます。

ルソーは「革命を起こして国王を失脚させろ!国王が一切の元凶であり、国王さえいなくなれば自由で平等な社会がやってくるはずだ!」とは考えませんでした。むしろルソーは、国王が失脚したところで新たな覇権争いが生じるだけであり、国家に安寧をもたらすことはできないと直観していました。そうした直観がなければ、わざわざ社会契約や一般意志といった概念を開発することは無かったでしょう。その代わり、みずから積極的に反政府的テロ活動に身を投じていたはずです。文学的ロマンを社会論に持ち込まなかったルソーの姿勢は、現代に生きる私たちにとっても、社会の新しいあり方を考える際の規準としての意味をもっています。

「一般意志はつねに正しい」

ルソーは『社会契約論』の第2編第3章「Si la volonté générale peut errer(一般意志は誤りうるか)」で次のように言っています。

Il s'ensuit de ce qui précède que la volonté générale est toujours droite et tend toujours à l'utilité publique

(以上にのべたところから、一般意志は、つねに正しく、つねに公けの利益を目ざす、ということが出てくる。)

一般意志は判断しない

こう言われると「人びとの判断がいつも正しいはずがない。ルソーの言い方は、大衆がヒトラーを生み出したことを容認しているのではないか?」と考えるひともいるかもしれません。

しかしルソーいわく、一般意志がつねに正確な判断を下すわけではありません。というよりも一般意志それ自体が何らかの判断を下すことはありません。判断を下すのは国王や政府のような特殊意志です。

一般意志と特殊意志は本質的に異なるものです。この2つを混同しないのが大事です。

個別意志が一般意志を代表できないのと同様に、一般意志も、個別的対象をもつ場合には、その性質を変え、一般的なものとしては、人間や事実については判決をくだしえないのである。

なら一般意志は何を目がける?

ルソーいわく、一般意志が目がけるのは公共の幸福です。

前編で明らかにされた諸原則から、第一に生まれてくる、そして最も大切な結果は、国家をつくった目的、つまり公共の幸福にしたがって、国家のもろもろの力を指導できるのは、一般意志だけだ、ということである。なぜなら、個々人の利害の対立が社会の設立を必要としたとすれば、その設立を可能なものとしたのは、この同じ個々人の利益の一致だからだ。こうしたさまざまの利害の中にある共通なものこそ、社会のきずなを形づくるのである。

問題はその中身ですが、端的に言うと、これは各人が相互に自由であること、を指しています。ルソーは『社会契約論』に先立つ『人間不平等起原論』で次のように論じています。人びとが国家を作り、政府を置く目的は、自分たちを奴隷とするためでなく、自分たちの自由を守ることにある。一般意志はこのことを共通の利益として目がけるものだから、政府の第一の目的は、各人の自由を保障することにある、と。

人民たちが首長を自分たちのために設けたのは、自分たちを奴隷とするためではなく、自分たちの自由を守るためであったということは異論のないところであり、またそれは、一切の国法の根本的な格率である。

『社会契約論』の第3篇第1章「Du gouvernement en général(政府一般について)」で、ルソーは次のように言っています。

Il faut donc à la force publique un agent propre qui la réunisse et la mette en oeuvre selon les directions de la volonté générale, qui serve à la communication de l'État et du souverain, qui fasse en quelque sorte dans la personne publique ce que fait dans l'homme l'union de l'âme et du corps. Voilà quelle est, dans l'État, la raison du gouvernement, confondu mal à propos avec le souverain, dont il n'est que le ministre.

(だから公共の力にとっては、この力を結集し、それを一般意志の指導によって動かし、国家と主権者との連絡につとめ、人間において魂と肉体との結びつきが果すことをば、いわば公人において果す、適当な代理人が必要である。これが、国家において政府が存在する理由であり、この政府は不当にも主権者と混同されているが、政府は主権者の公僕にすぎないのだ。)

「一般意志はつねに正しい」=一般意志こそが政府の正当性の規準である

この意味で、「一般意志はつねに正しい」という主張の趣旨は、一般意志が政府の正当性légitimitéの規準であるという点にあります。ルソーは本書の第2篇第6章「De la loi(法について)」で、一般意志に基づいた国家のみが正当であり、その国家体制とは王制や貴族制ではなく、ただ共和制だけだ、とハッキリ論じています。

Tout gouvernement légitime est républicain

(あらゆる正当な政府は、共和的である)

政府は一般意志を反映しているので正しい、ではなく、政府は一般意志を反映している限りで正しい。たとえどれだけの規模であろうと、またどれだけの歴史があろうと、一般意志を反映していなければ正当とはいえない。そうルソーは考えるわけです。

本書の冒頭でルソーは次のような問題を置いていました。

Je veux chercher si, dans l’ordre civil, il peut y avoir quelque règle d’administration légitime et sûre, en prenant les hommes tels qu’ils sont, et les lois telles qu’elles peuvent être.

(私は、人間をあるがままのものとして、また、法律をありうべきものとして取り上げた場合、市民の世界に正当かつ確実な政治上の規準がありうるかどうかについて調べてみたい。)

L’homme est né libre, et partout il est dans les fers. Tel se croit le maître des autres, qui ne laisse pas d’être plus esclave qu’eux. Comment ce changement s’est-il fait ? Je l’ignore. Qu’est-ce qui peut le rendre légitime ? Je crois pouvoir résoudre cette question.

(人間は自由なものとして生まれ、いたるところで鎖につながれている。自分を他人の主人と思っているものも、実はその他人以上の奴隷なのだ。この変化がどのようにして起こったのか?私は知らない。何がこれを正当なものにしうるか?私はこの問題を解くことができると思う。)

この問題に対してルソーが導いた解答、これこそが一般意志です。

「正当性」と「正統性」

ところで、「正当性」の同音語に「正統性」があります。ほとんど区別せず使うひともいますが、正統性はlegitimacyよりもむしろorthodoxyに近い概念です。これは現体制の伝統や系譜を重んじるニュアンスを含んでいるので、ルソーの意を汲めば、特別な理由が無い限りは「正当性」を使うのが適切です。

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