仏教哲学との接し方

哲学書を読むときは、ヨーロッパ哲学だけでなく、中国やインド、日本の哲学についても、まんべんなく読んでいくのが大事です。ただ、その際に重要なのは、近代ヨーロッパを批判するという目的のもとで東洋哲学、特に仏教哲学の著作を読まないことです。

哲学書の選び方を解説したときにも書きましたが、哲学書を読むときは信念検証型の読み方をするのが大事です。このことは西洋哲学だけでなく東洋哲学にも当てはまる、哲学の基本ルールです。

以下では、仏教哲学を信念検証型で読むとはどういうことかについて確認した後、そうした読み方からどのような見解を導くことができるかについて見ていきたいと思います。

信念検証型のポイント

信念検証型の読み方のポイントは、およそ次の通りです。

  1. 「真なる世界観は存在しない」を前提に
    • 「○○宗が真であり、他の宗派は誤っている」とするのは独断的
  2. どのような条件でその世界観が成立するかに着目
    • 世界観が真であるかを問うのではなく、「その世界観の動機、関心、欲望は何か?」と問う
  3. 仏教的世界観の本質がどれだけの普遍性をもつかを考える
    • 四諦(苦の一般性と、苦の解消を欲することの一般性)

ある特定の宗派の世界観を真と見なすことは、原理的には普遍的な妥当性をもちません。私たちは自分の意識の外に出て、世界観を可能とする実体(本体)を直接に見て取ることはできないからです。私たちは意識経験、欲望、関心に応じて、他者との言語ゲームのうちで世界観を作り上げている。その言語ゲームにおける共有可能性が、思想の普遍性の内実をなしています。

私たちはしばしば、宗教的世界観と科学的世界観を対立的に捉え、一方が正しく他方が間違っているというように考えてしまいます。ですが認識論的には、これは共通了解の可能性がどれだけ普遍的かという観点から考えなおす必要があります。科学的世界観あるいは宗教的世界観は、私たち人間の認識の構造(欲望、幻想的身体性、意識)に応じた共有可能性をもっているだけであり、それ自体で真であったり偽であったりするのではない。哲学では現象学を創始したエトムント・フッサールが、こうした「態度変更」を、主観と客観の的中性図式から、意識と了解の相関性図式への移行として規定しました。

仏教哲学の体系が幻想、物語にすぎないと批判するのは、誤っていないとしても的外れです。なぜならそうした批判は、現代社会における教養の水準(主に自然科学の知識)をアテにしていて、その当時に仏教的世界観がリアリティをもって了解されていたことの理由、条件を見ていないからです。どのような関心や欲望が仏教的世界観、仏教哲学のリアリティ、意味を支えていたか、あるいは支えているのか?この点をつかみ出すには、伝統的な的中性図式ではなく、相関性図式によって考えていく必要があります。

仏教的世界観のリアリティ(意味)を見て取るには、主観と客観の「的中性」の構図ではなく、意識・欲望と了解の「相関性」の構図で捉えなおす必要がある

体系の精密さ、壮大さは仏教に固有ではない

人類学者のジェームズ・フレーザーは、『金枝篇』で次のように言っています。

過去を研究する者にとっては、往古の王たち、祭司たちの生活は示唆に富んでいる。そこには、世界がいまだ若かった時代に英知とみなされた一切が要約されていた。それはだれもが自らの生活をそれに準えて形づくろうとする、完壁な生活様式であった。未開の哲学によって描き出された輪郭に沿って、厳密な正確さで築き上げられた欠点のない模範であった。その哲学は、われわれには粗雑で誤ったものに思えるかもしれないが、そこに論理的な整合性という価値がある点を否定することは不当であろう。小さな存在すなわち魂が、生きている人間の内部に、とはいえその人間とはまったく別個に、存在している―生命の原理をこのように捉えることから出発して、この哲学は、人生の実用的な手引となる、一連の規則体系を導き出した。それは概して十分つじつまの合う体系であり、実に完璧で調和の取れた統一体を形づくっている。この体系の欠点は、なるほど致命的な欠点ではあろうが、推論の筋道にあるのではなく、前提のほうにある。生命の本質に関する概念のほうにあるのであり、その概念から引き出された的外れな結論にあるのではない。

インド哲学、仏教哲学の世界観が普遍性に達しえない本質的な理由は、業と輪廻の仮説にあります。この仮説の妥当性は原理的に証明することができず、それゆえどこまでも仮説の域を超えることがない。この点ははっきりしています。しかし各宗派の教説それ自体は、非常に緻密な体系になっています。中観派、唯識派、天台宗、華厳宗、浄土宗、真言宗といった宗派で、あれだけ壮大かつ緻密な体系が打ち立てられたことを考えると、推論能力が人間の理性にとって本質的であることは否定できません。

実際に生まれてきた体系が異なっていようと、その条件には共通性がある。これはつまり、体系それ自体が精密、壮大であることは、仏教にとって派生的であって、本質的ではないということになります。体系は追加と整理を通じて無限に拡張できるので、巨大な体系は学問がスコラ化、専門化するところでは、一般に現れてくるものです。そのことはトマス・アクィナスのような中世ヨーロッパのスコラ哲学を見ると明らかです。

実践への欲求と、世界観への欲求

では仏教の何が特徴的かというと、それは実践への欲求と、世界観への欲求が絡み合い、弁証法的に展開してきた点にあります。

釈迦牟尼が仏教を開いた背景には、バラモン教の壮大な体系の存在がありました。本当に取り組むべき問題は、世界の真理を明らかにすることではなく、苦についてどう考え、それに対してどう態度を取るかにある。この鋭い直観をもとに、釈迦は、一切は苦であるが、苦を滅する道はあるとする「四諦」の観念を打ち出しました。釈迦の後に現れてきた諸学派は、四諦とそこから導かれる概念系に基づき、いかに解脱の可能性の条件に了解可能性を与えることができるかをめぐって議論を繰り広げてきたと言えます。この点において、実践を重視する宗派と、世界観を重視する宗派の違いが現れてきます。この点については、華厳宗と禅宗の関係に着目すると明確に見て取ることができます。

華厳宗は、中国・唐の時代に成立した、『華厳経』を所依とする大乗仏教の宗派です。華厳宗は、それまでに成立していた中観派、唯識派の教説を取り入れ、ものすごく壮大な体系(五教十宗、融通無礙、四種法界…)を打ち立てました。体系そのものは、確かに緻密で、ある意味考えつくされていますが、華厳宗を支えていた唐の体制が崩れるにつれ、禅宗が勢力を強めてきました。華厳宗は体系としては完成されていても、新たに台頭してきた武人階級の欲求にうまく応えられなかったためです。

ただ、その後禅宗は、華厳宗の世界観(性起説)を取り入れました。教条的なドグマをもたない(不立文字)からといって、ただ座禅していればよいとするだけでは、座禅がどのように解脱に結びつくかについて説得力のある説明を行うことができない。座禅の根拠は、全体的な世界観のうちに位置づけることによって明らかにできる。実践性を強調した禅宗が、世界観を論じる華厳宗の教説を受け入れた背景にはそうした直観があったと言えます。

解脱の確実性を根拠づける原理が無ければ、現実肯定は素朴な煩悩肯定と変わらない。現世こそが悟りの世界であると説いた天台本覚思想に対して、法然、日蓮、親鸞といった鎌倉新仏教が現れてきたことについても、これと同じことが言えます。彼らは現実肯定が「なんでもあり」になることを批判するとともに、素朴に理念と現実を実体化することを避けたうえで、救済の一般性を基礎づけようとしました。彼ら以降、彼らの教説をより深化させ、それに取って代わるような宗派が現れていないのは、鎌倉新仏教による一般性の基礎づけの試みが限界まで突き詰められたからだ、と言えるはずです。

思想の自由が例外的だった

鎌倉新仏教以降に取って代わる宗派が現れていないもうひとつの理由は、日本では仏教がほぼつねに、何らかの仕方で政治権力の抑圧あるいは管理のもとに置かれており、思想の自由がきわめて例外的だったことにあります。

奈良仏教から平安仏教の展開においては、政治権力と南都六宗(華厳宗、法相宗、律宗など)の結びつきを嫌った桓武天皇により、天台宗と真言宗が保護されました。鎌倉時代を経て、南北朝時代・室町時代では、足利尊氏が京都に臨済宗の五山を選定し、これを保護しました。

戦国時代では、石山本願寺など、大名と並ぶほどの権力をもつ宗教勢力が現れたほか、宗派間の闘争なども起きましたが(天文法華の乱など)、信長が徹底的に弾圧。延暦寺の焼き討ち、石山合戦に加え、日蓮宗と浄土宗の間で論争(安土宗論)を主催することで、宗教勢力のコントロールを行いました。安土桃山時代では、信長の方針を受け継いだ豊臣秀吉により弾圧。江戸時代には、寺院諸法度、諸宗寺院法度の制定や、檀家と寺社に独占的な関係を結ばせる檀家制度(寺請制度)を置くことで、布教活動を実質的に抑圧しました。また、明治時代には、新政府の方針のもと、廃仏毀釈が行われました。

この点で言うと、鎌倉時代は、日本の歴史において、仏教の特定の教派が積極的に保護、または弾圧されることなく、様々な宗派が併存していた希有な時代だったと言えます。

日本が遅れていたわけではない

近代哲学の祖デカルト
近代哲学の祖デカルト

もっとも、思想の自由という点で、日本が特に遅れていたというわけではありません。中世ヨーロッパでは、スコラ哲学が政治権力と結びついており、デカルトやホッブズ、スピノザ、ルソーといった、現代社会の基礎となるような世界観を論じた近代哲学者たちは、例外なく迫害の対象となりました。近代より以前、思想の自由は、洋の東西を問わず、既成の政治権力にとって重大な脅威でした。

思想は一般に、その共同体で自由が一定確保されているとき、様々な形を取って展開します。古代ギリシアではタレスやアナクシマンドロスなどのミレトス学派、インドではブッダ以前に自由思想家が、中国では春秋戦国時代に諸子百家が現れました。

日本では、業と輪廻の物語を絶対的な前提とする仏教的世界観と、現世肯定に基づく儒教的世界観がオーソドックスであり、懐疑主義や相対主義、これらを克服するためのデカルト的な方法的懐疑のような試みが表舞台に現れることはありませんでした。この点が決定的と言えばその通りですが、方法的懐疑はルネサンス後の数学、自然科学の発展という文脈において現れてきた考え方なので、単純に仏教的・儒教的世界観を批判しても仕方がありません。

仏教的世界観が退潮した理由

仏教的世界観は、間違っているから退潮したわけではありません。そうではなく、自然科学・社会哲学の発展にともない、苦は仏の慈悲によって解消されるという考えよりも、人間の理性によって対処できるとする考えのほうが、より広範な納得を生み出すようになったからです。

ここで、「理性に対するこうした傲慢さが、近代社会の危機の根源である」と批判するのは正当ではありません。理性が生み出した危機は、理性を鍛え直すことによってしか克服できないのであって、近代を仏教的世界観によって相対化することは、仏教の根本的な動機そのものに反しています。

まとめ

以上を踏まえて、仏教哲学とどう付き合うのがいいでしょうか?簡単にまとめてみます。

現代の私たちにとっても着目すべきは、やはり四諦の概念です。生の一切が苦であるというのは言い過ぎですが、生に苦が存在しないとするのも妥当ではありません。私たちは多かれ少なかれ肉体的、精神的な苦しみを感じながら生きており、それに対して何らかの態度を取りつつ生きています。のどが渇いて苦しむ。夢が叶わなくて苦しむ。人間関係で苦しむ。自力で解消できる苦しみもあれば、どうにもならない苦しみもあります。そうした「どうにもならなさ」の感覚が、信仰の本質的な条件であることは確かだと言えるはずです。

ニーチェが鋭く直観したように、意味の無い苦しみに耐えることはできません。苦の意味と理由、苦の解決法を示す原理をセットで示した仏教が、近代以前、世界説明の体系として強い影響力をもったことの背景には、そうした実存的理由があると言っていい。だから私たちは、「輪廻からの解脱を求めてはいけない。そうすることで『解脱したい』と願う我執が現れてくるからだ」というような、一見それらしく見える議論のうちに、論理操作・形式化による頽落の傾向を感じ取るわけです。

哲学的には、仏教的世界観が真理であると考えることも、科学的世界観が真理であると考えることも誤りです。解脱の客観的確実性を根拠づける原理は存在しない。しかし、だからといって仏教哲学に見るべきところがないわけではありません。言語ゲームにおける共通了解の観点から、仏教的世界観を成立させている条件、根拠を見て取るように読めば、各宗派は私たちが生に対して取りうる態度の範型を示していることが分かります。そのことを見て取ることが、仏教哲学を「哲学的に」読むことの第一の目的です。

仏教の信仰は、近代社会の原理に反さない限りにおいて、正当なものとして認められています。仏教的世界観が苦悩を癒やしてくれる場合もあります。宗教一般は功利性の原理に基づいて考えねばならないというミルの主張(『功利主義論』)は、そういう観点から捉えると確かに納得できます。

ただそのことと、仏教的世界観がどれだけの共有可能性、普遍性をもっているかということは、全く異なる水準の問題です。

仏教的世界観を哲学の観点から検討する際には、その世界観が真理であるかどうかをいったん留保し、世界観を支えている条件を、市民社会という言語ゲームにおいて価値自由に(=公正不偏の態度で)吟味検討していく必要があります。これはつまり、信仰を開かれた形で鍛えなおすということでもあります。どこまでは共有可能性をもち、どこからは共有可能性をもたないか。線引きが曖昧なまま「なあなあ」で付き合っていると、一信者としても、あるいは宗派としても、ひどいしっぺ返しを食らうでしょう。