ロック・哲学早わかり

ジョン・ロック(1632年~1704年)は『人間知性論』『市民政府論』で知られる、17世紀のイングランド出身の哲学者・政治哲学者です。

哲学史的には、デカルトの少し後、スピノザやライプニッツらの(大陸)合理論と同時代で、ヒュームの先輩に当たります。

ロックの業績は主に2つあります。ひとつは認識論でひとつの立場「経験論」を打ち立てたこと、もうひとつは政治哲学でアメリカ政治思想のリバタリアニズム(ロバート・ノージックなど)の土台を作り上げたことです。

経験論

ロックといえば「タブラ・ラサ」が有名です。タブラ・ラサという概念自体はロック以前から使われていたようですが、ロックがそれによって言わんとするのは、私たちの認識は神のような最高者から送り込まれてくるものではなく、あくまで私たちの知覚経験に基づいているのだ、ということです。

確かに「脳こそ認識を可能としているのに…」と自然科学的に批判することもできます。しかしまずは、ロックがこの説をキリスト教が人びとの間で広く信仰されている時代に示したという点に注目する必要があります。

タブラ・ラサは別としても、認識が私たちの経験に基づくものであるとする見方は、現代の私たちにとって、ある意味当然です。

ロックの議論は、人間は神の照らし出す光によって真理を見ることができるとするキリスト教的な考え方を根本からくつがえすものでした。その意味でロックはデカルトと深く通じています。ロックとデカルトは、経験論vs合理論のように対比的に捉えられがちですが、両者はともに、私たちの認識は、あくまわで私たちの意識の内部における事象だと捉えた点で深く通じています。大事なのはこの点であって、タブラ・ラサ自体がそれほど大事なわけではありません(実際に読むと分かりますが、ロックはタブラ・ラサについて深く突っ込んでいるわけではありません)

政治哲学

ロックのもうひとつの主著、『市民政府論』(『統治二論』とも)は、ロバート・ノージックに代表されるアメリカ政治思想(リバタリアニズム)のひとつの源流となっています。しかし『市民政府論』はキリスト教の物語に基いており、強烈なローカル性を持っていることは見逃せません。ロックは次のように言っています。

まず初めに、世界は初め万人の共有として与えられていたと考えてみよう。彼は自分の身体を使って労働し、万人の共有である世界から事物を取り出す。ところで、私たちは誰もが自分の身体について所有権を持っている。それゆえ1人ひとりの労働は、その人のものだ。それゆえ労働によって取り出された事物も当然、それを取り出したひとに属する。

世界はまさに人の子たちに共有として与えられたのである、という前提を立てればよい。そうすれば、土地のそれぞれの部分について、それを個人的に使用する明確な権原を人々が労働によって得ることができたことを知るのである。

この言い方には明らかに問題があります。物語ではなく概念を用いるという哲学の基本ルールに反しており、キリスト教が信仰されていないような文化圏では通用しない言い方になってしまっているからです。

一切の認識は知覚経験によると主張する一方で、神が世界を共有として与えたという、知覚経験に基づかない想定を所有の基礎に置くあたりのチグハグさが、ロックの不徹底さを象徴しているように思います。

主な著書

ロックの主著には以下のものがあります。

  • 『市民政府論』(『統治二論』)
  • 『人間知性論』

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  • ロックの『市民政府論』を解説。本書でロックは、各人は神によって自由かつ平等に造られたという前提に基づき、労働の所有権を保全するために、合意を締結して市民社会を形成したという説を置く。これはキリスト教に依拠した議論であり、物語の代わりに概念を使うという哲学の基本ルールに反している。

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  • ロックの『人間知性論』を解説。ロックは本書で「第一性質」や「第二性質」といった概念によって、誰にも確かめられない「物語」を作るのではなく、経験と観察可能な領域を考察の対象とすべきと主張する。ここに経験論が合理論に対してもつ優位がある。

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