『孫子』を解読する

『孫子』は中国の最も古く、かつ最も有名な兵法書だ。

『孫子』のほかに、『呉子』『司馬法』『尉繚子』『李衛公問対』『黄石公三略』『六韜』の6つを合わせて「武経七書」と呼び、これらが中国の兵書の代表とされている。そのなかでも『孫子』は最も包括的で、深い議論を行っている。

原著者は紀元前6世紀の孫武とされている。後継者による加筆や注釈を交えて、紀元前3世紀頃、魏の武帝(曹操)により、現在伝えられている13篇にまとめられたと考えられている。日本に伝わったのは、およそ8世紀頃のようだ。

本書の構成は以下の通りだ。

  1. 計篇
  2. 作戦篇
  3. 謀攻篇
  4. 形篇
  5. 勢篇
  6. 虚実篇
  7. 軍争篇
  8. 九変篇
  9. 行軍篇
  10. 地形篇
  11. 九地篇
  12. 火攻篇
  13. 用間篇

それでは以下、本文に沿って見ていくことにしよう。

戦わなくても勝敗が分かる

計篇の冒頭には次のようにある。

孫子はいう。戦争とは国家の大事である。〔国民の〕死活がきまるところで、〔国家の〕存亡のわかれ道であるから、よくよく熟慮せねばならぬ。それゆえ、五つの事がらではかり考え、〔七つの〕目算で比べあわせて、その場の実情を求めるのである。〔五つの事というのは、〕第一は道、第二は天、第三は地、第四は将、第五は法である。〔第一の〕道とは、人民たちが上の人と同じ心になって、死生をともにして疑わないようにさせる〔政治の〕ことである。〔第二の〕天とは、陰陽や気温や時節〔などの自然界のめぐり〕のことである。〔第三の〕地とは、距離や険しさや広さや高低〔などの土地の情況〕のことである。〔第四の〕将とは、才智や誠信や仁慈や勇敢や威厳〔といった将軍の人材〕のことである。〔第五の〕法とは、軍隊編成の法規や官職の治め方や主軍の用度〔などの軍制〕のことである。およそこれら五つの事は、将軍たる者はだれでも知っているが、それを深く理解している者は勝ち、深く理解していない者は勝てない。

〔深い理解を得た者は、七つの〕目算で此べあわせてその場の実情を求めるのである。すなわち、君主は〔敵と身方とで〕いずれが人心を得ているか、将軍は〔敵と身方とで〕いずれが有能であるか、自然界のめぐりと土地の情況とはいずれに有利であるか、法令はどちらが厳守されているか、軍隊はどちらが強いか、士卒はどちらがよく訓練されているか、賞罰はどちらが公明に行なわれているかということで、わたしは、これらのことによって、〔戦わずしてすでに〕勝敗を知るのである。

戦争は国家の存亡に関わる重大なことなので、よく熟慮しなければならない。そのためには5つの事柄(五事)に精通し、7つの「計」(七計)で現状を把握しておく必要がある。そうすることで、戦う前にすでに自軍が勝つか負けるかを見て取ることができるのだ、という。

ここで、五事、七計をまとめると次のような感じだ。

五事

  1. 道:政治家と人民の心を団結させる政治
  2. 天:陰陽や気温、季節などの自然
  3. 地:地形
  4. 将:将軍の才知や力能
  5. 法:軍規、軍制

七計

  1. 敵と味方の君主のどちらが人心をより理解しているか
  2. 将軍はどちらが有能か
  3. 自然と地形はどちらに有利か
  4. 法令はどちらの軍でより厳守されているか
  5. 軍隊はどちらが強いか
  6. 兵卒はどちらの軍でよく訓練されているか
  7. 賞罰はどちらでより公正に行われているか

戦争は詭道なり

孫子によれば、戦争は詭道(きどう)である。

敵軍を倒すためには、相手に分かるような仕方で正面から攻めても無駄だ。自軍が強くても弱く、備えが充実していても足りないように見せかけ、相手が謙虚なときは驕らせること。相手を出し抜き、不意を突く必要がある。

戦闘せずに勝つのが最上

戦争においてはつねに、実際に戦闘することなく勝つのが最高である。なぜなら戦闘すれば、たとえ勝利を収めても、自軍はそれなりに疲弊してしまうからだ。ましてや城攻めはもってのほかで、これは他にやむを得ず行う最終手段である。

孫子はいう。およそ戦争の原則としては、敵国を傷つけずにそのままで降服させるのが上策で、敵国を討ち破って屈服させるのはそれには劣る。

百たび戦関して百たび勝利を得るというのは、最高にすぐれたものではない。戦闘しないで敵兵を屈服させるのが、最高にすぐれたことである。

そこで、最上の戦争は敵の陰謀を〔その陰謀のうちに〕破ることであり、その次ぎは敵と連合国との外交関係を破ることであり、その次ぎは敵の軍を討つことであり、最もまずいのは敵の城を攻めることである。城を攻めるという方法は、〔他に手段がなくて〕やむを得ずに行なうのである。

城を落としたところで必ずしも形勢が変わるわけではない。もしそれで想定以上の損害が出れば、チャンスをうかがっていた他の国が自国に攻め込んでくるかもしれない。

このように、戦争は一回の戦闘としてではなく、あくまでトータルで考えなければならない。そう孫子は言うのだ。

相手を知り己を知れば百戦危うからず

ここで孫子は、戦争に勝つには、以下の5つの事柄を押さえておく必要があるとする。

  1. 戦っていいときとそうでないときを見極めること
  2. 大軍と小部隊の用い方を知ること
  3. 命令系統を上手く機能させること
  4. 準備を整え、油断している敵に当たること
  5. 将軍が有能であり、君子が戦争に介入しないこと

(故に曰わく、彼れを知りて己れを知れば、百戦して殆うからず。彼れを知らずして己れを知れば、一勝一負す。彼れを知らず己れを知らざれば、戦う毎に必らず殆うし。)

だから、「敵情を知って身方の事情も知っておれば、百たび戦っても危険がなく、敵情を知らないで身方の事情を知っていれば、勝ったり負けたりし、敵情を知らず身方の事情も知らないのでは、戦うたびにきまって危険だ。」といわれるのである。

敵の状況を知らずに勝つのは厳しい。ましてや自軍の状況も知らずに勝とうとするのは愚かである。自軍の状況は当然のこと、加えて敵軍の状況を把握しておけば、決断した戦争で負けることはない。

もちろん、敵軍もまた自軍の状況を把握していれば、自軍が勝てるとは限らないし、他にも様々な偶然的な要因が関わってくるので、現実には戦争で必ず勝つということはありえない。ただし、ここで論じられているのはあくまで原則だ。現状によって原則を否定するのは、哲学的にはよくないやり方だ。

実態を測り、その結果に応じて軍を整えること

ここで、自軍の状況を見て取るために、5つの方法があるという。

兵法では〔五つの大切なことがある。〕第一には度—ものさしではかること—、第二には量—ますめではかること—、第三には数—数えはかること—、第四には称—くらべはかること—、第五には勝—勝敗を考えること—である。〔戦場の〕土地について〔その広さや距離を考える〕度という問題が起こり、度の結果について〔投入すべき物量を考える〕量という問題が起こり、量の結果について〔動員すべき兵数を考える〕数という問題が起こり、数の結果について〔敵身方の能力をはかり考える〕称という問題が起こり、称の結果について〔勝敗を考える〕勝という問題が起こる。

状況を計量して数値に落とし込むことで、投入すべき物資と人員の量を考慮すること。どれだけ投入すれば勝つに足り、もしくは最低限のダメージにとどめることができるかを判断すること。そうすれば最もスマートに勝つことができるし、仮に負けるとしても総崩れになることはない。

戦争で勝負を決するのは、気合いや精神ではない。合理的な状況把握に基づいて、物量と兵士を準備し、投入することが重要である、というわけだ。

戦いの勢い

次に孫子は、現状認識から現れてくる、戦いの勢いについて論じる。ここでのポイントは以下の通りだ。

  • 臆病になるか勇敢になるかは、戦いの勢いの問題
  • 戦争が上手なひとは、勢いで勝ちに行く

自軍の態勢を隠すこと

敵にはハッキリした形を取らせ、自軍は態勢を隠しておけば、こちらは敵の態勢に応じて集中することができる。しかし敵はどこを攻撃していいか分からない。たとえ相手が大軍だろうと、分散させれば、実際の戦闘で立ち向かうのはつねに小部隊となる。

そこで、軍の形(態勢)をとる極致は無形になることである。無形であれば深く入りこんだスパイでもかぎつけることができず、智謀すぐれた者でも考え慮ることができない。〔あいての形がよみとれると、〕その形に乗じて勝利が得られるのであるが、一般の人々にはそれを知ることができない。人々はみな身方の勝利のありさまを知っているが、身方がどのようにして勝利を決定したかというそのありさまは知らないのである。

あからさまに勝つのではなく、いつのまにか勝負が決していることが理想的。人びとに褒められたり、名誉や手柄があったりするのでは、最高の勝ち方とは言えない。

機先を制するのが一番難しい

ここで、孫子によれば、戦争のうちで最も難しいのは機先を制することである。

したがって、遠回りをしてゆっくりしているように見せかけ、敵を利益でつることで、相手よりも先に戦場へ行き着くことが重要である。この「遠近の計」を知ることが勝つために必要である、と孫子は言う。

其の疾きことは風の如く、其の徐なることは林の如く、侵掠することは火の如く、知り難きことは陰の如く、動かざることは山の如く、動くことは雷の震うが如くにして、郷を掠むるには衆を分かち、地を廓むるには利を分かち、権を懸けて而して動く。)

だから、風のように迅速に進み、林のように息をひそめて待機し、火の燃えるように侵奪し、暗やみのように分かりにくくし、山のようにどっしりと落ちつき、雷鳴のようにはげしく動き、村里をかすめ取〔って兵糧を集め〕るときには兵士を分散させ、土地を〔奪って〕広げるときにはその要点を分守させ、万事についてよく見積りはかったうえで行動する。

これは戦国時代の武将、武田信玄が自軍の軍旗に書かせたとされている「風林火山」の句の元ネタとしてよく知られている。

軍旗に書かれていた実際の句は「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」である。「風林火山」という語そのものは現代の創作であるという説が一般的であるが、決定的な証拠があるわけではなく、いずれにせよ憶測の域を出ない。

軍は恩賞と軍規で統制すること

次に、軍は恩賞で兵士を従わせ、かつ軍規で統制するのがよいとする。これは要するに「アメとムチ」だ。

兵士たちがまだ〔将軍に〕親しみなついていないのに懲罰を行なうと彼らは心服せず、心服しないと働かせにくい。〔ところがまた〕兵士たちがもう親しみなついているのに懲罰を行なわないでいると〔威令がふるわず〕彼らを働かせることはできない。だから〔軍隊では〕恩徳でなつけて刑罰で統制するのであって、これを必勝〔の軍〕というのである。

ただし、普段から法令をきちんと運用しておかないと効き目はない。法令が守られていない状態で兵士に命令しても、彼らが服従することはない。

意味のない戦争は行わないこと

開戦するかどうかは、あくまで、勝つことによる利益があるかどうかで決めるものである。君主や将軍は怒りにまかせて開戦するべきではない。有利な状況であれば仕掛け、そうでなければ仕掛けない。戦い、勝っておきながら何もしないのでは意味がない。

聡明な君主はよく思慮し、立派な将軍はよく修め整えて、有利でなければ行動を起こさず、利得がなければ軍を用いず、危険がせまらなければ戦わない。君主は怒りにまかせて軍を興こすべきではなく、将軍も憤激にまかせて合戦をはじめるべきではない。有利な情況であれば行動を起こし、有利な情況でなければやめるのである。

スパイを上手く使うこと

最後に、スパイ(間諜)を活用することが、敵の状況を知り、勝つために必要であると論じる。

敵の状況は祈ったり占ったりすることも、過去の経験や自然界の法則から類推することもできない。それはあくまでスパイによってのみ把握することができるのだ。そう孫子は言う。

聡明な君主やすぐれた将軍であってこそ、はじめてすぐれた知恵者を間諜として必らず偉大な功業をなしとげることができるのである。この間諜こそ戦争のかなめであり、全軍がそれに頼って行動するものである。

神や運命を持ち出さない

以上から明確に見て取れるのは、本書において、運命や精神がほとんど問題とされていないことだ。

戦争で勝つためにはそれに応じた条件があり、負けるにもその条件がある。頑張っても勝てないものは勝てないし、神や「天」、運命、ましてや「神風」が苦境を跳ね返して勝利を導くわけでもない。負けるのは気合いが足りないからではなく、実質的な条件が欠けているからだ。どれだけ将軍に才能があろうと、自然や地形といった環境が整っていなければ、戦争で勝つことはできない。この直観はなるほど確かにと思わせる。

自軍の状況を数値化して把握し、敵軍の状況をスパイなどによって把握する。それによって自軍と敵軍を比較考量することで、勝つか負けるかをそれなりの確度で予測することができる。こうした合理的な構えが貫かれているからこそ、本書は時代と国を超えて読み継がれているのだろう。

もし本書が「正義は勝つ」的なニュアンスで書かれていたら、現代に伝わることはなかったはずだ。それどころか、当時でさえ兵書として相手にされることはなかったかもしれない。そうした戦争ロマンに付き合っていられるほど悠長な時代ではなかったからだ。

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