マンハイム『イデオロギーとユートピア』を解読する

『イデオロギーとユートピア』Ideologie und Utopieは、ハンガリー出身の社会学者カール・マンハイム(1893年~1947年)の主著だ。1929年に発表された。

マンハイムは知識社会学Wissenssoziologieの提唱者として知られている。

知識社会学の目的

知識社会学は、宗教社会学とか法社会学などと比べて、何を探究しているのかイメージがしづらいかもしれない。その理由はおそらく知識社会学の「知識」が具体的に何を指しているのか分かりにくいからではないだろうか。

一般に、知識と聞くと、見聞きされたり記憶されたりする内容のほうをイメージするかもしれない。ここでマンハイムが想定しているのは、私たちの思考様式、つまり認識構造のことだ。

社会が変わるにつれて、私たちの認識のあり方も変化する。同様に、認識が変わるにつれて社会への働きかけ方も変化する。そうした認識構造と社会の相関関係を明らかにすることが知識社会学の基本的な目的だ。

本書の構え

本書におけるマンハイムの基本の構えは、おおよそ以下のような感じだ。

  • 私たちの認識(=世界観)は歴史や社会によって拘束(=規定)されている
  • 認識と、社会的・政治的な行為の束は相互に影響し合っている

私たちの認識は拘束(=規定)されている

第1の構えは、私たちの認識はそもそも社会的なものであるというものだ。

思考することができるのは個人だけだというのは、実際そのとおりである。

だからといって、ここから次のような結論をひきだすのは誤りである。すなわち、個人の行動を動機づける観念や感情はすべて個人にのみその起源をもつとか、あるいは、それらは個人に固有な生の経験をもとにしてしか的確な解明ができない、という結論である。

私たちの認識の起源を個人に求めることはできない。認識は個人的なものではない。なぜなら認識の起源は集団、つまり社会にあるからだ。認識は本来的に集合的認識なのだ。そうマンハイムは考えた。

個人が世界に立ち向かい、真理の発見をめざして努力を続けてゆくなかで、彼の体験をもとでに一個の世界観を構築する、という前提を立てているが、これは実際にはとんでもない誤りである。

逆に、認識とはそもそものはじめから集団生活における一個の協働過程であり、そのなかに置かれた個人は、ある共通の運命、ある共通の活動、それに共通の困難の克服といった枠組のなかで〔ただし、この枠組の内部では、各人はそれぞれ異なった役割を分担している〕彼の認識を伸長する、といったほうがはるかに正しい。

あらゆる個人はすでに形成された状況、思考様式や行動様式によってあらかじめ規定されてしまっている。個人は社会のうちで、その社会の状況を継承し、それらの様式が社会の状況によって規定されていることを見出す。そのうえで、思考様式や行動様式を、よりよいものへと向上させようとするのだ。

認識と行為は相互に影響している

2つ目の前提は、私たちの認識構造と行為、特に政治的な行為は互いに影響しているというものだ。

知識社会学の方法を特徴づける第二の特徴点は、それが具体的に実在している思考様式と、集合的行為連関とを切り離さないという点である。それというのも、われわれが知的な意味ではじめて世界を発見するのは、この集合的行為連関を通してだからである。もともと、いいかえれば、集合的行為がめざす方向が、その場合の導きの糸となるのである。

集団のなかに生きている人間は、ばらばらの個人として、ただ物理的に共存しているわけではない。

むしろ逆に、かれらは多種多様な組織化された集団のなかで、相互に提携と敵対とを繰り返しながら行動し、また、こうした行動の交換を通じて、思考の面でも提携と敵対とを繰り返しているのである。

したがって、かれらの問題意識、かれらのものの見方、かれらの思考形式が現われる場合、その導きの糸となるのは、かれらの間にある変革への意志か、さもなければ、維持への意志なのである。

私たちの認識が社会的に制約され、方向付けられていることを新たに捉え返すことによって、これまで認識のうちで制御されていなかった要素を制御できるようになる。この点に認識と社会の相関関係を見て取ることの意味がある、とマンハイムは考えた。

イデオロギーとユートピアは思考の危機を象徴

マンハイムいわく、社会の流動性が高まるにつれて、どの世界観が正しいかについての一般的な確信が疑われるようになる。そして、民主化の進展にともない、下層階級の世界観が次第に上流階級のそれと互角の勢力をもち始める。

社会の秩序が比較的安定している場合、世界観の多様性が問題になることはない。だが、社会の流動性が高まると、何が正しい世界観なのかについての疑念が生まれてくる。

民主化が進み、下層階級の勢力が強まるにつれ、それまで支配的だった上流階級の思考の妥当性が疑われるようになると同時に、下層階級の思考が力をもつようになる。

どの世界観が絶対的に正しいかに対する確信が失われるにつれ、政治が世界観を利用するようになる。さまざまな階層が、自分の世界観こそが「真」であると称することで、自分たちの勢力を強化しようと試みるようになった。その結果、私たちの思考そのものに対する信頼が打ち崩されてきた。こうした状況を象徴しているのが、イデオロギーでありユートピアである。そうマンハイムは言う。

多種多様な集団が、徹底した正体の暴露をめざすもっとも近代的な思想的武器を用いて、その敵がいたいている思考にたいする信頼を破壊すべく努力してきた。そのあげく、すべての立場が分析の俎上にのぼらざるをえなくなるにつれて、それらの集団は人間の思考一般にたいする信顛をも破壊する羽目に立ちいたった。

思想の危機は、たんに一つの立場の危機ではない。それは、ある思想的高みに達した世界の危機である。

存在拘束性を認識することが必要

では、思考の危機、世界の危機に対して、私たちはどのように対処すればいいのだろうか。

これについてマンハイムは、私たちの認識構造(思考様式)が歴史や社会によって規定されていること、この存在拘束性を捉えなおすことがその第一歩になるとする。

政治勢力が互いに相手の世界観をイデオロギーと批判しあう結果、やがて懐疑主義と相対主義が生じてくる。しかしこれらは人びとに自己批判をするよう促し、客観性に関する新しい見方をもたらしてくれる。

社会的な存在拘束性を認識し、洞察を深めること。そうした洞察が深化するにつれて、存在拘束性から抜け出る機会はむしろ増えるのだ。

社会的存在拘束性から自己を解放する機会は、この存在拘束性に関する洞察の深化に比例して増大する

行為にたいする社会的存在拘束性の無意識的影響ということを主張する者こそ、じつは、できるかぎり、こうした社会的存在拘束性を克服しようと努めている者なのである。

とはいえ、マンハイムは、具体的にどのような仕方で存在拘束性から抜け出ることができるか、という点について具体的な方法を提示しているわけではない。一応マンハイムとしては、社会階層の存在拘束性から免れている社会的に浮動するインテリ層が、様々な世界観をまとめ上げ、世界についての客観的な見方を導くことができると考えていたようだ。これについては以下で見ることにする。

イデオロギーとユートピアとは

マンハイムは、イデオロギーとユートピアを以下のように規定している。

イデオロギー
支配団体が支配感覚(自分の立場)を損なう恐れのある事実に目をつぶる傾向があることを示す
ユートピア
変革願望をもつ人たちが、その信念や願望を揺るがす恐れのある事実に対して背を向ける傾向があることを示す

ここで注意しておきたいのは、マンハイムはイデオロギーとユートピアが「正しい現実」を捉えていない、とは考えていなかったということだ。

私たちの認識は社会や歴史によって規定されており、それぞれの社会的な立場(=存在)に応じた認識があるにすぎない。その意味で、イデオロギーとユートピアもまた存在拘束性のもとでの世界認識のひとつの形態である。マンハイムが直接そういう風に言っているわけではないが、構図的にはそのようになる。

イデオロギーを分析する

続いてマンハイムは、イデオロギーをいくつかの種類に区別し、分析を進めていく。大枠を示すと大体次のような感じだ。

  • 部分的イデオロギー
  • 全体的イデオロギー
    • 没評価的イデオロギー
    • 評価的(=認識論的)イデオロギー

もちろんこの図式はマンハイムの案にすぎないので、絶対視する必要はない。大事なのは、ここからどのような見方がもたらされるか、だ。

部分的イデオロギーと全体的イデオロギー

マンハイムは部分的イデオロギーと全体的イデオロギーの違いを次のようにまとめている。

  • 部分的イデオロギー
    • 相手の主張の一部が間違っていると主張
    • 「相手はウソを付いている」と主張するも、論理的思考には共通性を認める
    • 利害関係が現実を隠蔽している、と批判する
  • 全体的イデオロギー
    • 相手の世界観それ自体が間違っていると主張
    • 論理的思考そのものがねじ曲がっていると主張する
    • 現実的な状況が隠蔽を引き起こしている、と批判する

ここでマンハイムが主眼としているのは、マルクス主義のイデオロギー論だ。

イデオロギーは最初「観念学」という意味しかもっていなかったが、ナポレオンによって政敵の思想を「価値がない」と攻撃するための道具として使われるようになった。この段階では、イデオロギーは部分的イデオロギーでしかなかった。

しかし、マルクス主義によって、部分的イデオロギーは全体的イデオロギーとして展開された。マルクス主義は意識哲学として、政治的な実践可能性を、現実を正しく捉えているかどうかに関する決定的な基準とした。政治的に実践可能でないような世界観は非現実的だ、と。

しかし、マンハイムいわく、全体的イデオロギーを原理的に展開することによって、マルクス主義もまたひとつのイデオロギーでしかないことが示される。全体的イデオロギーの観点からすれば、どのような思想もイデオロギー的であり、社会的に規定されている。マルクス主義も例外ではない。そうマンハイムは考えた。

全体的イデオロギー概念を普遍的に把握するようになるためには、敵の立場だけではなく、原理上いっさいの立場を、つまり自己自身の立場さえ、イデオロギーとみなす勇気がなければならない。

このような全体的イデオロギー概念を普遍的に把握する立場からすれば、人間の思想は、党派や時代にかかわりなく、すべてイデオロギー的であり、それを免れるものはまずありえない。

そしてこの点では、マルクスの立場もけっして例外ではないのである。マルクス主義もやはり数々の変種をもち、それらが社会的に拘束されていることを認識することは、一個のマルクス主義者にとって、それほどむずかしいことではあるまい。

イデオロギー論から知識社会学へ

マンハイムによれば、全体的イデオロギー論から知識社会学が成立する。

イデオロギー論と知識社会学の違いは、党派的武器として使われるイデオロギーと、存在拘束性に基づいた思想としてのイデオロギーを区別することにある。マンハイムは言う。

ここから2つの方向性が現れてくる。ひとつは立場(=存在)と観点の関係性を、あらゆる思想に関して事実レベルで(=没評価的に)探求すること、そしてもうひとつは、その関係性を認識論的な観点から再度論じかえすことだ。

第2の方向性に進むと、知識社会学は相対主義もしくは相関主義の選択を迫られる。ここで知識社会学が選ぶのは相関主義の道だ。

ある見方を「相対主義的だ」と批判するその観点自体、歴史的に規定されている。認識論自体が歴史のうちで生成されるものであり、直面する課題をそのつど克服することで進展するような過程なのだ。

政治思想の5つの理念型

次にマンハイムは、19世紀から20世紀にかけての政治思想の5つの理念型を取り上げ、私たちの世界観が歴史的に転換すること、社会的に規定されていることを示そうとする。

理念型とは、価値理念と関心に相関して定式化される、現象の本質連関構造のこと。詳しくはここで解説しました → ヴェーバー『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』を解読する

ここでマンハイムが提示する理念型は、以下の5つだ。

  1. 官僚主義的保守主義
  2. 保守主義的歴史主義
  3. 自由主義-民主主義的市民思想
  4. 社会主義-共産主義的観念
  5. ファシズム

もっとも、マンハイムがこの5つの理念型を重要視する根拠は明確ではない。なぜこの5つに限定されなければならないのか。他にはありえないのか。これについてマンハイムは論じているわけではない。

ともあれ、以下、それらの理念型に関するマンハイムの説明について、簡単に見ておくことにしよう。

1.官僚主義的保守主義

官僚主義的保守主義の特徴は、現行秩序を秩序一般と同一視する傾向だ。

官僚主義的な考え方は、政治の領域を行政の領域で覆い隠そうとする傾向にある。制定された法律の背後に様々な勢力があることを見ようとしない。政治が生成される過程であることは、この考え方には理解できない。

2.保守主義的歴史主義

ドイツでは、保守主義に基づく歴史主義が生まれた。

保守主義的歴史主義の特徴は、政治の領域に非合理的な活動の余地があることを認めることにある。歴史主義の非合理性がロマン主義的な非合理主義と結びつき、歴史そのものが非合理的な力によって支配されていると考えるようになった。

保守主義的歴史主義は、貴族や市民層によって支持された。この歴史主義の理論は、旧身分の伝統を理論化したものに他ならない。

3.自由主義-民主主義的市民思想

一方、自由主義・民主主義は、市民階層によって支持された。この階層は、思想のうちに感情や世界観を認めないか、あるいはそれらを理性によって容易に克服できると考えた。

市民層は、世界を徹底的に合理化しようと要求し、自由競争や階級闘争を聖化した。そうすることでむしろ非合理的な活動の可能性を生み出したのだ。

4.社会主義-共産主義的観念

社会主義-共産主義理論は、「直観主義と極度の合理化への意志の総合」といえる。この合理化への傾向は、プロレタリアートの階級状況のうちに根ざしている。

革命的衝動のために、合理化は絶対的なものになりえない。たとえ最近になって合理化がますます進展して、本来じつは非合理な爆発にすぎなかった暴動さえも組織されるようになり、官僚主義的色彩を濃くしてきたとしても、革命という以上、依然として歴史像や生活体系のうちには、ぬぐいきれない非合理性の余地が、どこかに残らざるをえない。

こうして、マルクス主義の考え方は、非合理的行為の合理的思考として現われる。

5.ファシズム

ファシズムは、本質的に行動主義・非合理主義的だ。

ファシズムにおいて重要なのは、指導者への無条件的な服従である。これは極端な非合理主義ではあるが、伝統的な非合理主義とは異なる。むしろ、伝統主義的な意味での歴史を否定して現れてきた非合理主義なのだ。

ファシズムにとっては、どんな歴史観もフィクションでしかない。ここで思想は、理論のもつ欺瞞性を暴露するという役割を果たすだけとなる。

ただ、結局のところ、ファシズムは暴動主義集団のイデオロギーにすぎない。ファシズムの立場からは、非合理的な活動の可能性しか見ることができない。歴史や社会の構造はすべて覆われてしまう。

「社会的に浮動するインテリ層」が世界像をまとめる

政治に関する世界観が党派ごとに異なることを理解すること、それぞれの見解が部分的であり、相互に補いあうものであることを認識すること。これによって、党派的な政治学から、総体としての政治領域に関する知としての政治社会学が実現へと向かう、とマンハイムは言う。

ここでマンハイムは、世界観を総合する役割を担うべき階層として、社会的に浮動するインテリ層(インテリゲンチア)を要請する。

かつて総合をめがける意志は、社会的に一義的に規定される階層によって担われていた。それは組織化された知識人階層であり、かつてはキリスト教の聖職者カーストがそれに該当した。

近代では、聖職者カーストに代わって、自由なインテリゲンチアが現れてきた。近代のインテリ集団は教義ではなく、教養によって結びつけられている。教養によって、社会のうちで対立する様々な傾向を認識することができるため、対立する世界観を捉えることができるのだ。

社会学的観点から眺めると、近代における決定的事実とは、中世における事態とはまさに対照的に、これまで聖職者カーストによって保持されていた宗教色の強い世界解釈の独占態勢が打ち破られ、従来の完全に組織化された閉鎖的な知識人階層にかわって、自由なインテリゲンチアが台頭してきている、ということである。

インテリ集団の間には、ある統一された社会学的な結びつきがないわけではない。それはいうまでもなく教養であって、そかがまったく新しい仕方でインテリ集団を結びあわせている。

浮動するインテリ層は、キリスト教会と結びついていた中世のインテリ層と異なり、特定の社会階層に結びついていない。それゆえ、教養という普遍的な知によって、世界観の束をまとめ上げることができる。マンハイムには、そうした作業が近代の知識人に固有の役割であり、かつ使命であるという直観があった。

浮動するインテリ層が進んだ道は、およそ2つある。1つは、他の階級に加担すること。これはインテリ層がさまざまな階層に感情移入する能力をもっていたゆえに可能となった。

もう1つは、自らの社会的地位と使命を自覚することだ。知識人もまた時代の流れのうちで、他の階層が階級意識に目覚めるように、自分の使命に目覚めることは必然的といえる。

現代世界の根本的傾向の一つが、あらゆる階級のうちにしだいに階級意識がめざめてくる点にあるとすれば、知識人という社会層もまた、階級意識とはいえないにしろ、自分の地位とそこから生じるさまざまの可能性や課題についての明確な意識をもつようになることは、また時勢の必然であろう。

将来の展望が失われる時代へ

マンハイムは次のように言う。

ユートピアは現在の秩序を破壊するような、現実離れした意識である。現実離れしているという意味ではイデオロギーも同様だが、ユートピアは行動を方向づけ、現実を変革するような観念である。

実現可能性があるかどうか、これがイデオロギーとユートピアを分かつ基準となる。

ユートピアはいずれも存在を超越している。なぜなら、どのユートピアも、まだ実現されていない要素にのっとって、行動に方向づけを与えるからである。しかし、ユートピアはイデオロギーとは違う。もっと正確にいえば、ユートピアがイデオロギーと違うのは、ユートピアは現存する歴史的現実(Wirklichkeit)を反対作用(Gegenwirkung)を通じて自分の観念に合うように変形することができる、という点にあり、その度合に応じて両者の差異が決まってくる。

一方、マンハイムによれば、現代は「即物性」の時代だ。ユートピアは破壊され、対立しあうユートピアは単なる諸仮説にすぎなくなる。人間の意志は消滅してしまい、将来の展望が描けなくなってしまう。

現代の生活様式は「ドライ」なものだ。この「ドライさ」が現代を支配する唯一の手段となっている。芸術からはヒューマニズム的な要素が消え失せ、男女関係はドライなものとなっている。これは現代の意識からイデオロギー的なもの、ユートピア的なものが退潮することの兆候として解釈することができる。

ここで生じるのは「可能な観点」の争い合いだ。それぞれの観点はそれなりの妥当性をもっている。それらが分かれたままでは、現代の諸経験を総合的にとらえていない、という推測が現れてくるかもしれない。しかし、そうした観点が突然総合的に見渡せるようになり、ひとつの像を結ぶ。

もろもろの観点を総合する役割を担うのが、社会的に浮動するインテリ層だ。

こうした即物性の無緊張状態を打破するのが、ほかならぬインテリ層だ。

未来の「かくあるべし」に基づいて、初めて現在の可能性について問うことができるし、歴史への視野が開けてくる。将来イデオロギーやユートピアが消滅してしまうかもしれないが、存在(=現実)を超え出たものが破壊されると、人間の意志は死滅してしまうだろう。

ユートピアの消失は、人間自身が物となるような、静的な即物性を成立させる。すなわち、もっとも合理的に自己を支配する人間が衝動のままに動く人間になり、長い間の犠牲に満ちた英雄的な発展のあとで自覚の最高の段階に到達した人間が―ここではすでに歴史は盲目の運命ではなく、自己の創造物になっている―、ユートピアのさまざまの形態の消滅とともに、歴史への意志と歴史への展望とを失う。こういう、考えられるかぎり最大の逆説が起こってくるであろう。

マルクス主義批判として

マンハイム
マンハイム

いまから見れば、マルクス主義の世界観が数あるうちの世界観のひとつにすぎないという考えはほぼ当たり前と言っていい。

しかし当時はマルクス主義が急激に勢力を広げていた時代だ。本書が発表された1929年は、スターリンがトロツキーを国外追放して独裁体制を完成させた年でもあった。そうした時代においては、マンハイムの議論は確かに新しかった。

他の思想をイデオロギーと批判するマルクス主義もまた、イデオロギーのひとつのあり方である。このことを指摘したところに本書の独自性があったといえる。

画期的だったわけではない

もっとも、私たちの認識が観点相関的なものであり、現実を写し取るようなものではないという直観それ自体は、特に新しかったわけではない。

たとえばニーチェは、認識は権力への意志(=「もっと!」を目がける欲求)に相関していると『権力への意志』で論じていたし、マックス・ヴェーバーは、認識は価値理念に相関するので、世界観の対立は私たちの認識構造上不可避であると「客観性論文」ですでに主張していた。ありのままの事実を写し取れるという前提に立つ主観-客観図式は、マンハイム以前からすでに時代遅れになりつつあるものだった。問題はむしろ、認識の客観性をどのように担保することができるか、ということにあった。

確かにマンハイムの言うように、私たちの認識が社会的・歴史的に拘束されているという側面はある。しかしそれはやはりひとつの側面であって、認識の本質ではない。基礎的な論理学や数学のように、歴史を越えて妥当性をもつような認識もあるからだ。この点を見逃すと、一切の認識が状況に拘束されているという相対主義的な地点に行き着いてしまわざるをえない。

起源論は形而上学に行き着く

私たちの認識が社会的に規定されているかどうかは、私たちが自分の意識経験を内省することで初めて見て取ることが出来るようなものだ。

認識論では、「認識は本来的に…である」という言い方は先構成論とされる。マンハイムは認識が社会的・歴史的に規定されていると論じていたが、歴史上似たような説を打ち出した哲学者は数多くいる。典型的なものとしては、無意識とか身体、他者や構造などがある。認識がそうした外部の条件によって支えられていると主張するのが先構成論の特徴だ。

ただし、認識の起源(何が認識を可能にしているか)に関する問いは、原理上答えの出ないものだ。なぜなら私たちに与えられているのは認識という結果であって、原因ではないからだ。私たちにできるのは、結果から条件を見て取ることであって、原因を言い当てることではない。原因を言い当てようとするかぎり、議論は、妥当な根拠をもたない形而上学に行き着かざるをえないのだ。

「正しい」政治のあり方、世界観を論じられない

また、マンハイムの立場からすると、どのような政治や世界観が普遍的に「正しい」かについて論じることは原理上不可能となる。その時代、その社会階層に応じた世界観があるにすぎず、ある世界観を普遍的と称してはならない。そうした見方を取るからこそ、マンハイムは、絶対的に正しい思想は存在せず、知識人は「より正しい」世界像を求めて努力しなければならないという、どこかで聞いたことがあるような地点に行き着かざるをえなかったのだ。

思想とは、現実のさまざまな力に衝き動かされながら、つねに自己自身に疑いを投げかけ、自己訂正を求めてやまない過程なのである。

全体性とは、部分的な見方を自己のうちに受けいれつつ、不断にそれを打ち破り、一歩一歩、認識の自然の歩みにつれて自己を拡大してゆく、全体への志向を意味する。

知識社会学のもつ本来の狙いは、危機に曝されているわれわれの思想状況を状況報告の形で受けとめ、全体性をめざす志向によってさまざまな事象の脈絡をとらえようとすること以外の何ものでもない。

「いま、ここ」に縛られている限り、新しい社会構想(ユートピア)を示すことはできない。それは確かにそのとおりだ。だが問題は、その構想の正当性をどこに根拠づけることができるかという点にある。それは知識人による世界観の総合と拡大によって達成されることではない。そのことはホッブズルソーヘーゲルといった近代哲学者の著作を見るとすぐに了解できる。

彼らには、社会構想を行うにあたっては、まず人間存在の本質規定から始めなければならないという深い直観があった。幅広い視野を得ることは補助的な価値しかもたない。というのも、彼らにとって、社会構想の正当性は一般的な合意によってしか確めることができないことは、いわば自明のことだったからだ。近代哲学自体が、普遍性はそうした仕方でしか確保されないという直観から出発したと言っても、決して言いすぎではない。そのことは『方法序説』のような、近代哲学の始発点をなす著作に明確に表れている。