ミル『自由論』を箇条書きで要約する

ジョン・スチュアート・ミルの『自由論』の概要を箇条書きでまとめてみました。

詳しい解説はこちらをご覧ください → ミル『自由論』を解読する

問題と解答

はじめにミルの議論の大枠を確認しておきます。

  • 問題
    • 社会的自由と、「社会が個人に対して正当に行使し得る権力の本質と諸限界」は?
  • 解答
    • 個人が個性を発揮して、他者を害することなく多様な幸福追求ゲームを営むこと。これが社会的自由。
    • なので一般的功利を損なっていないような行為を抑制することは不当。これが社会が行使できる権力の限界。
    • 以上が功利主義の観点から見た自由の原理論。

本書の前提は功利主義。規制を全部取り外せば社会は良くなると考える空想的な自由論と異なります。「自由バンザイ!」ではないことは、ぜひとも頭の片隅にとどめておいてください。

ミルの功利主義についてはこちらで解説しました → ミル『功利主義論』を解読する

以下、本文に沿って確認していきます。

本文

政府による抑圧よりも、人びとの相互の抑圧が問題に

  • 自由というと、かつては国民と政府の間で問題となっていたテーマだった。政府の利益と意志を国民のそれにかなうようにすること、これが自由にとっての重要な問題だった。

政府と国民(市民)の間における自由について論じた哲学者として代表的なのがホッブズやルソーなどの近代哲学者です。

  • しかし現代(19世紀)では、国民と政府の間というよりも、むしろ人びとの間で相互の抑圧が生じるようになってきた。
  • これを多数者の暴虐(tyranny of the majority)と呼びたい。
  • 政府による権力の濫用と同じく、多数者の暴虐についても何らかの予防策を取らなければならない。

ルールを置いて、個性を発揮できるように

  • 各人が個性を発揮できるようにすることが、功利主義的観点からすると最も重要な社会の公準。
  • いかなる人にとっても生を価値あるものとするためには、行為は法律もしくは世論によって規制する必要がある。
  • しかし、そのためのルールは、えてして一個人もしくは多数の趣味判断(好み)に基づいてしまう。これは普遍的とは言いがたい。
  • そこで提案したいのが危害原理

危害原理

  • 危害原理は2つのポイントからなる。
    1. 社会の「自己防衛」を目的とする限りにおいて、行為の自由を規制することは正当。
    2. 他者に危害が及ばないようにする限りにおいて、権力の行使は正当。
  • ある人の幸福(功利)だけを促進することは、権力を行使する正当な根拠とはならない。なぜなら正当な功利は「人間の恒久的利益」を基礎としなければならないから。

自由=他者の功利を損なわずに自分の幸福を追求する自由

  • なので本当の意味での自由とは、他人の幸福を奪い取らず、また幸福をめがける努力を妨げることなく、自分自身の幸福を追求する自由のこと。
  • これは今でこそ当たり前と思えるかもしれないが、近代でもなお個人を社会に服従させようとする輩がいた。究極的なのが社会学者のオーギュスト・コント

本書を読むと、いわゆる秩序問題の空疎さが分かります。秩序を成立させるだけなら別に難しいことはありません。暴力による圧政を敷けばいいのです。重要な問題は、安寧な社会で一般に自由を享受するための条件を見て取ることにあるのであって、秩序がどう成立するかではありません(よね)。

秩序問題については、こちらで解説しました → 「ホッブズ問題」の考え方

以下、代表的な自由として、言論の自由と行為の自由を取り上げてみる。

1. 言論の自由

  • 言論の自由は主に以下の3つの理由ゆえに認められなければならない。
    1. 抑圧しようとしている意見が実は正しいかもしれないから。
    2. それが誤っているとしても、一般的な意見が完全に正しいわけでもないから。相互に比較することで、正しい意見をより正しくすることができる。
    3. 両方の意見が正しい場合でも、様々な意見を吟味検討してこそ何が正しいかを自ら判断できるようになるから。
  • 異端と見なされるのを恐れるあまり理性の活動を萎縮すると、社会は大きな損害を被ってしまう。
  • そうしたひとが思想家には絶対になることはできない。思想家にとっては自分の理性に従うことこそが第一の義務だが、それを放棄してしまえば思想も何もあったものではないからだ。

念のため確認しておくと、ここでミルのいう言論の自由は、あくまで功利主義的なものです。つまり危害原理に基づき、一般の功利を促進する言論に限って自由が認められるのであって、「言論の自由だ!」と叫びつつ文化的対立をあおり立てることまで認められるわけではありません。それは子供の考え方です。

2. 行為の自由

  • 次に行為の自由について考えてみる。
  • 行為の自由は言論の自由と異なり、責任と危険がともなう。なので言論の自由よりは制限されなければならない。
  • 多様なライフスタイルが存在することは私たち人間にとって有益だ。伝統や慣習が行為を規制するところでは幸福の一要素が欠けてしまっている。
  • なので、他人に損害を与えない限りで私たちひとりひとりが個性を発揮することが、功利主義的には望ましい。
  • 自分の生活を世間に従わせるのはサルでもできる。私たちはみずからの計画をみずから立案することで、自己の能力を最大限に活用できるのだ。

斬新で個性的なライフスタイルが「非常識」と見なされ、否定的に見られることはいまなお少なくありません。その点を考慮すると、ミルの視点はとても先駆的だったと言えます。

社会が干渉すべき領域

  • 各人は社会で生活しているかぎり、相互の利益を損なうことなく、社会とそのメンバーを危害と干渉から守るために働き、犠牲を負う必要がある。それに反する行為を行うひとに対して罰則を与えることは正当。

犯罪に対して刑罰を与えることは正当。

  • しかし社会の干渉は誤った推定に基づいて行なわれるかもしれない。
  • 自分にとって不快だからといって他人を抑制することは、価値あるものを成長させない。個性は個人的な事柄について発揮されるので、これに関しては各人が自由に行為を行なうことができる(誰も文句は言えない)。
  • 個性こそ豊かな生の条件であり、他人にとって有益で価値ある人間となる条件。他人に損害を与えない限りで個性を開花させることを抑圧するのは不当だ。もしそうすることに正当な理由があるというなら教えてほしい。
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