カント『永遠平和のために』を超コンパクトに要約する

カントの『永遠平和のために』をコンパクトにまとめてみました。

詳細解説はこちらで行いました → カント『永遠平和のために』を解読する

本書は『実践理性批判』を前提にしているので、まずは『実践理性批判』を読んでみてください。読んでいる時間がない方は解説をどうぞ。詳細版とコンパクト版の2バージョンを用意しておきました。

本書の目的

戦争が生じる可能性が存在しない状態について論じること。

結論

答えは平和条約ではなく、永遠平和状態にある。

現実世界では永遠平和状態を達成することはできない。しかし永遠平和状態という概念そのものは目指すべき目標として役に立つ。到達できないからといって最初からやらないのは、完全に道徳的になれないからといって道徳的な生き方を心がけないのと同じ。大事なのはそれを目指すこと。

カントの言いたいことは要するにこう。

次のように言える。「まずもって純粋実践理性の国とその正義を求めて努力せよ。そうすれば汝の目的(永遠平和という恵み)はおのずからかなえられるであろう」、と。

では見ていきます。

本論

国家を人格として捉える

国家をひとつの人格Personとして捉える。人間の場合もそうだが、人格はそれ自体が目的であって、誰かに所有されることがあってはならない。なので国家が国家を併合することがあってはならない。

自然状態は戦争状態

自然状態は戦争状態だ。なので平和状態は作られ、制度の下で保障されなければならない。

共和制だけオーケー

共和制が永遠平和状態を目指すには最適な制度。なぜなら共和制では人びとが共同の立法に自由に従うから。強制されず、自由に従うことが重要。自由が道徳を目がける理性の要請のひとつであることについては『実践理性批判』で書いたとおり。

平和連合を作れ

国家を人格と見なすと、そこには2つの側面があることが分かる。

  1. 傾向性(欲求)
  2. 道徳法則を自分に課す理性

国家はこの2つの要素のバランスの上に立っている。

国家は傾向性に流されて対外的な利益を求め、戦争によって互いに害を及ぼしあっている。

一般的には戦争を終了させるために平和条約が結ばれるが、永遠平和状態の観点からすれば平和条約では足りない。なぜなら平和条約は一時の争いを調停するだけであって、根本にある動因そのものを解決するものではないからだ。

そこで私は、平和条約の代わりに、平和連合を作ることを提案したい。国家には、欲求に流されるだけでなく、自分に道徳法則を課す能力ももっている。国家は永遠平和状態を目指すことを義務と見なす。なので国家は相互の契約に基づき、平和連合を作るべきだ。

永遠平和状態を目指すのは国家の義務

世界共和国と世界市民法の理念

平和連合は次善の策。理想は世界共和国。これは戦争が起こる余地のない国家。ただいきなり世界共和国と言ってもムダなので、とりあえずは平和連合を目指すようにするのがいいだろう。

また、永遠平和状態のためには、国内法や国際法に加えて、世界市民法の理念が必要となる。これによって人びとは、自分たちが永遠平和状態に近づいていると実感することができる。

いつか達成されることが保障されている…これは摂理

「永遠平和状態はひとつの理念ですよね。ということは、厳密に言えば、現実世界の法則と考えることはできないわけですから、現実性ゼロということじゃないでしょうか。それなのにそんなものを目指す理由はあるんですか?」

鋭い指摘だ。しかしこれはポイントを外している。なぜなら永遠平和状態の達成は、現在ではないとしても、いつかきっと必ず達成されていることが保障されているからだ。それは何によってか。自然の摂理によってだ。

自然は国家に傾向性をもたせた。しかしこれは合目的的なものだ。どういうことかというと、国家が傾向性のもとで戦争状態にあることによって、むしろ逆に国家同士を結合するように向かわせている。戦争によって平和状態が促進されるのだ。

このように、摂理による保証は永遠平和状態へと目指すよう私たちに義務づけている。現実世界で本当に達成されるかどうかは確かではないけど、これは道徳的な観点からは確かに意義をもつのだ。

実現できるかどうかについては心配しなくていい!とにかく永遠平和状態を目指して努力すべし

まとめ

一言で言えば、『実践理性批判』の議論をそのまま政治論へと引き延ばした感じ。カントは永遠平和状態を理念と見なして、そこに向かうことが国家の義務であるとしました。

論点

率直に言うと色々なところで強引さがありますが(国家を人格と見なしていいのか?など)、何と言っても最大の論点は摂理の概念。これはかなり無理があります。

ただ、この無理矢理感は出るべくして出てきたものです。

カントの図式では基本的に、現実世界と悟性世界(理念の世界)は全く別の秩序のもとにあります。永遠平和状態が理念だというなら、自然世界の法則である(とカントが考えている)摂理は、原理的に異なるもののはずです。

もし理性が永遠平和状態を目指す本性をもっているのなら、摂理の概念を出す必要はありません。それだと構図的に成立しなくなってしまいます。いくらエサで釣ろうとしても、それは強引です。

自然世界の法則としての「摂理」が永遠平和状態を保証しているとするのは強引

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