プラトン『ソクラテスの弁明』を解読する

本篇はプラトンの初期対話篇だ。

アテナイ(現在のアテネ)を中心とするデロス同盟と、スパルタを中心とするペロポネソス同盟との間で起きたペロポネソス戦争が、アテナイ側の敗北により終結した5年後の紀元前399年、戦争の敗因を哲学者に負わせようとする政界の有力者アニュトスの手先だったメレトスが、「国家の信じない神々を認めず、青年を堕落させた」とし、アテナイの法廷にソクラテスを公訴した。本篇は法廷で裁判を見守っていたプラトンが、ソクラテスによる弁明の一部始終を記録、公表したものだ。

本篇におけるプラトンの叙述は次のように進む。まずメレトスによる求刑弁論に対するソクラテスの弁明演説、500人の市民陪審員による無罪・有罪の決定投票、刑量確定の投票、それを受けて行われるソクラテスの最後の演説、という順序だ。

本篇は事実を正確に反映しているというより、プラトンによる脚色を含んでいると見るほうがいい。プラトンの思想形成に深く影響を与えたソクラテスが克明に描き出されている。

「真実」のみを語ろう

弁明の冒頭、ソクラテスは次のように言う。

アテナイの人びとよ、私を告発した者たちは素晴らしい弁論を行った。余りにも素晴らしいため、私は自分を忘れそうになるところだった。一方、私は弁論は上手くないし、そもそも裁判所に来たことさえない。だから諸君には、ぜひ、私の言葉遣いではなく、そこで言われている内容が真実であるかどうかにのみ注意を払ってほしい。

また、私が弁論術を教えて金銭を要求するソフィストであるという人もいる。だが私が教えているのは弁論術のようなものではない。そもそも私は弁論術を持ち合わせていない。だが、私にはソフィストの知恵とは異なる知恵がある。もっとも、それは「私の」知恵というよりは、「神の」知恵と言うにふさわしいものだ。

本当に知るべきことを探究せよ

こうしてソクラテスは、デルポイの神殿にて「自分よりも知恵のあるひとはいるか?」と尋ねたところ、それに対して、誰もソクラテスより知恵のあるひとはいないという託宣が下された。この点について、ソクラテスは次のように話を続ける。ここはいわゆる「無知の知」に関する箇所だ。

私はこの神託について驚きを覚えた。というのも私には、自分が知恵あるものではないという自覚があったからだ。

あるとき私は、ある政治家を尋ねて、対話を行っていた。その際私は、彼が無知であることに気づき、相手にこのことを説明しようとしたが、彼は私を憎むようになった。そのとき、私は次のように考えた。彼には知恵があるが、善や美についてのことは何も知らないのだ、と。

このちょっとしたことで、わたしのほうが知恵があることになるらしい。つまり、わたしは、知らないことは知らないと思う、ただそれだけのことで、まさっているらしいのです。

私は他にも名前の聞こえる人びとを訪ね、議論を行ったが、彼らはいずれも、世俗のつまらない知恵ばかり身につけて、思慮においては全く欠けていることが分かった。

ただ私は、そう批判することによって、自分が優れていることを主張しようとしたかったわけではない。彼らが無知であると指摘するのを見ていた人びとのなかには、私を知者と信じた人もいたようだが、私はただ神の指示にしたがって彼らを批判していたにすぎない。

私は戦地に赴いたときでも、自分の持ち場に踏みとどまった。ここで私が、自分を徹底的に吟味して、知を愛しながら生きていかなければならないという神の命令に背けば、それこそ私は取り返しのつかない過ちを犯したことになるだろう。

人は、どこかの場所に、そこを最善と信じて自己を配置したり、長上の者によってそこに配置されたりしたばあい、そこに踏みとどまって危険をおかさなければならない、とわたしは思うのでして、死も、他のいかなることも、勘定には入りません。

死を恐れるのは誤りだ。それは知恵をもたないことについて知恵をもっていると偽っていることにほかならない。なぜなら死を知っている者は誰もいないからだ。

プラトン=ソクラテスは「無知の知」という表現を実際に使っているわけではない。何もソクラテスは「自分が無知であることを知っていることがエライのだ」という風に言いたかったのではなく、「本当に知るに値することを探究しなければならない、それが哲学の営みのあるべき姿だ」と言いたかったと見るのがいい。

では、ソクラテスは何を知るべきだと考えたのだろうか。知を愛する者は何をなすべきだと考えたのだろうか。

魂の配慮こそなすべきこと

ソクラテスは、次のように弁明を続ける。

たとえ釈放されたとしても、私は神に従い、次のように人びとに説き回るだろう。君たちはアテナイという偉大なポリスの市民でありながら、どれだけ多くの金銭を自分のものにできるか、どれだけ自分の評判、地位を高められるかということばかり気に掛けている。だが本当に行うべきは、「魂ができるだけすぐれたものになるよう」配慮することだ、と。

身体や金銭は、その結果として善いものとなる。だが逆はない。すなわち、いくら金銭を積んでも、魂が優れたものになるわけではないのだ。

ここで言っておくと、私を死刑にするか、追放もしくは市民権を剥奪することは、決して得策とは言えない。なぜならそれは私自身の損害ではなく、このソクラテスという類い希なる人間を追放するあなた方アテナイ人の損害だからだ。「魂を配慮せよ」と私のように説くことは、人間の力では不可能であり、神のたまものだからだ。

自分は神の代弁者である。私が君たちに伝えているのは神の言葉である。確かにソクラテスはそのように言っており、この点だけ取れば、ソクラテスは相当奇特な人物だと言わざるをえない。

だが、魂の配慮こそなすべきことだという直観は、それまでの哲学を転換する一歩だったと評価しなければならない。というのも、ソクラテスの哲学者たちは、主に世界の根本原理と究極単位について論じていたが(タレスの「水」、アナクシマンドロスの「ト・アペイロン(無限なるもの)」など)、ソクラテスは、何が善く、どう生きるのが善いかこそ考えるべきことであると大きく問いの形を書き換えたからだ。こうした問いを提出した哲学者は、ソクラテス以前にはほぼ見当たらない。

死刑が確定

ともあれ、ソクラテスがこのように説いた後で、無罪・有罪の決定投票が行われ、その結果、約280対220で有罪が確定する。これに引き続いて、刑量についての弁論に移るが、ここでソクラテスはなんと、自分には「市の迎賓館における食事」がふさわしいと、陪審員たちの神経を逆なでするような弁論を行う。

私が値するのは死刑ではなく、それに対する報償だろう。なぜなら私はただ、人びとに思慮あるものとなるよう説いてきただけだからだ。私には不正を行った覚えはない。不正を行っていない私に対して害悪を与えるのは、それこそ私に対する不正にほかならない。

刑務所で奴隷となるわけにもいかないし、罰金を申し出るわけにもいかない。私には一銭の金もないからだ。もし仮にアテナイを追放されても、私は同じことを繰り返し、同じように批判されることだろう。沈黙することはできない。なぜなら私にとっては、徳について日々議論することが最大の善であり、魂の配慮こそが生きがいに他ならないからだ。

以上の弁論を踏まえた刑量確定の投票の結果、約360対140の多数で、ソクラテスの死刑が確定する。だが、その結果をうけて、ソクラテスは次のように言う。

私は死を恐れていない。死が何であるか知らないことに加え、死は一種の幸福でもあるからだ。思うに、死は次の二つのうちのいずれかであるだろう。一つは感覚の消失であり、これは夢も見ないほどの熟睡のようなものだろう。もう一つは「あの世」への引っ越しであり、そこでは既に現世を去った偉人たちと親しく交わって、自分の魂をより深く吟味することができるだろう。

最後にソクラテスは、自分を告訴した者、自分に有罪宣告をした人びとに憤りは抱いておらず、生と死のどちらを選ぶのが善い運命に出会うかは神のみぞ知ると言い残して、弁明を終える。

プラトンに影響を与えたソクラテス

本篇で描かれているソクラテスは、確かになかなかの変わり者だ。神に選ばれた自分が人びとを批判し、魂を配慮するように促すことは誰にも止められない。ソクラテスの主張を一言でまとめるとそういうことになるからだ。

だが、本篇を読むと、プラトンにとってソクラテスとは、既存の習俗や倫理にとらわれることなく、何が善であるかについて根本的に問い直し、探求した哲学者だったことはよく分かる。

私たちが本当に行うべきは魂の配慮である。このソクラテスの確信がプラトンに決定的な影響を与えたことは、後に書かれた『国家』や『パイドン』といった対話篇を見ると明らかだ。