エンゲルス『フォイエルバッハ論』を解読する

フリードリヒ・エンゲルス(1820年~1895年)は、同郷のカール・マルクスと並んでよく知られている社会主義者だ。

以下で見ていく『フォイエルバッハ論』は、『空想より科学へ』の6年後、1886年に出版された著作だ。なので基本的な枠組みにほとんど変更はない。フォイエルバッハの評価についても、ずっと以前に発表された『ドイツ・イデオロギー』(1845年)のころから変わっていない。それゆえ『フォイエルバッハ論』には、取り立てて見るべき新しい点はほとんどないのが正直なところだ。文献学的には興味深い違いがあるのかもしれないが、主張のポイントはほぼ共通している。

ヘーゲル哲学=「過程」の哲学=弁証法

エンゲルスのヘーゲル評価の中心は、ヘーゲルは観念と現実を転倒してしまった、という点にある。

ヘーゲルは自然や歴史の一切を、認識の「過程」として捉えた。ある存在についての認識とは私たちの意識における過程それ自体だとした。これは優れた見方だ。しかしヘーゲルは、体系は円環をなして完結していると考えてしまい、哲学は現実を写し取っているものだということを忘れてしまった。そうエンゲルスは言う。

これは本書に限らず、色々なところで見られるエンゲルスの決まり文句だ。

ヘーゲルの弁証法は、それまで現実的だったものが非現実的なものに変わり、合理的なものが不合理的なものに転化することを示している。

このことがもつ意義、それは思考の究極性を否定したことだ。真理が認識の過程のうちにしかないことをヘーゲルの弁証法は明らかにした。ヘーゲルの弁証法的哲学のもとでは、完全な歴史や国家は存在しない。ただ向上の過程のみが永続的だ。

しかしヘーゲルはこのことを明確に表現していない。ヘーゲルの論理学においては、終結点が始発点となっている。つまり絶対的理念が「外化」し、思考と歴史を経てみずからに帰るとされる。しかしこれは絶対的理念を認識することを前提としているため、弁証法の方法に矛盾している。

エンゲルスの指摘によれば、ヘーゲルの死後ヘーゲル学派は分裂し、主力の1つだった青年ヘーゲル派は唯物論へと回帰することになった。唯物論は自然こそ唯一の現実であると考える。しかしヘーゲルの体系においては自然ではなく理念が本源的である。この矛盾のうちを青年ヘーゲル派は揺れ動いていた。

まさにそのとき、フォイエルバッハの『キリスト教の本質』が現れた。結局フォイエルバッハは忘れ去られてしまったが、『キリスト教の本質』が観念論に対する唯物論の優位を示したことはいまだ着目されるべきだ。そうエンゲルスは言う。

唯物論が観念論の基礎

エンゲルスによれば、観念論と唯物論の対立の根本には、私たちが現実の世界について「正しい映像」を作り出すことができるか、主観と客観の一致(主客一致)は可能かという問題がある。

この点についてエンゲルスは次のように言う。

哲学者の圧倒的多数は主客一致の可能性について肯定的だ。しかし、ここで忘れてはならないのは、哲学者自身が社会的な進歩によって動かされているということ、言いかえると、彼らの認識それ自体が自然科学と産業の進歩の影響のもとにあるということだ、と。

デカルトからヘーゲル、ホッブスからフォイエルバッハまでのながい期間に、哲学者たちはけっして、かれらが信じていたように、純粋な思考の力によってのみ推し動かされていたのではない。その反対である。かれらをほんとうに推し動かしていたものは、とくに自然科学と産業との、力強い、たえず速度をましながら突進する進歩であった。

その意味で、唯物論が観念論を条件づけている。ヘーゲルの体系は、観念論的に逆立ちさせられた唯物論にほかならないのだ。そうエンゲルスは主張する。

フォイエルバッハの唯物論は中途半端

フォイエルバッハは精神が物質に基づけられているとする点で唯物論的だ。しかしエンゲルスによれば、フォイエルバッハからは観念論が抜けきっておらず、完全な唯物論には達していない。

フォイエルバッハは哲学を宗教に解消しようとする。彼によれば宗教とは人間と人間の間の直接的な愛のうちにあるとされる。人間同士の関係が宗教によって追認されるときに初めて、その関係は完全に価値あるものになるとさえ考えている。

しかしフォイエルバッハにおける人間は、宗教哲学に現れるような人間であり、抽象的な人間、頭で考えだされた人間にすぎない。私たちが他者との関係において人間的な感情を抱くことのできる可能性は、この階級社会ではすでに失われてしまっているのだ。

かれは形式から言えば実在論で、人間から出発してはいる。しかしかれは、この人間がそのうちに生活している世界については一言も言わず、したがってこの人間は、いつまでも、宗教哲学のうちで口をきいていたのと同じ抽象的な人間のままである。というのは、この人間は母親の胎内から生れたのではなくて、一神教的な神から脱皮したのであるから、したがってまた、歴史的に発生し歴史的に限定されている現実の世界のなかに生活していないからである。

弁証法的唯物論

フォイエルバッハは惜しいところまで行ったが不完全に終わった、私たちマルクスとエンゲルスがフォイエルバッハを乗り越え、完全な理論を打ち立てることに成功した、とエンゲルスとしては言いたい。

そこで次にエンゲルスは、その乗り越えを可能とした(とする)弁証法的唯物論について解説する。

詳しくはこちらで解説しました → エンゲルス『空想より科学へ』を解読する

私たちはヘーゲルの「イデオロギー的な逆立ち」を取り除くために、概念は現実の事物を写し取った映像であると考えた。そうすることで私たちは弁証法から観念論の側面を抜き取り、弁証法は現実および思考の運動の一般法則についての科学となったのだ。

以前の歴史哲学や法哲学は社会事象について観念的な連関を想定していた。しかし弁証法的唯物論においては、もはや問題はそこにはない。問題は現実的な連関、すなわち歴史の一般的な運動法則を発見することへ移行したのだ。

そこで私たちは、歴史の現実的な動因が、ブルジョワ階級とプロレタリア階級の間の階級闘争にあることを突き止めた。大工業はブルジョワ的な生産秩序と対立することで、過剰生産と大衆の貧困という矛盾を生み出す仕組みになっている。この矛盾が生産様式の変革による生産力(=労働者)の解放を要求するのだ。

しかし結局のところブルジョワ社会は国家権力を作り出し、これをもって自分たちの共同の利益を守ろうとする。かくして国家権力が一定の階級を代表するようになると、それは社会から独立してしまう。それゆえ抑圧されている階級の闘争は、必然的に支配階級に対する政治的闘争とならざるをえないのだ。

支配階級にたいする被抑圧階級の闘争は必然的に政治闘争、まず第一に支配階級の政治的支配にたいする闘争となる。

こう捉えると、プロレタリア階級においてドイツの理論的精神が生き続けていることが分かる。まさに彼らの闘争こそがドイツ古典哲学の相続者なのだ。

労働の発展史を社会の歴史全体の理解の鍵と認めた新しい学派は、はじめからとくに労働者階級に望みをかけ、そしてここで、公認の学問からは求めも期待もしなかった歓迎を受けた。ドイツの労働者階級の運動こそ、ドイツ古典哲学の相続者である。

社会主義思想をコンパクトに伝える

上で確認したように、社会主義に対するエンゲルスの基本的な構えは、『空想より科学へ』と『フォイエルバッハ論』とでほとんど変わらない。フォイエルバッハを脱ヘーゲルの第一人者として評価しつつも、噛ませ犬的にしか扱っていない。これは少し残念だ。フォイエルバッハには、フォイエルバッハなりの主張のポイントがあったはずなのに…。

それでもなお、毎度のことながら、社会主義思想をこれだけコンパクトにまとめてしまうのには驚かされてしまう。哲学研究者は入門書を小バカにする傾向があるが、わかりやすい入門書を書くにも才能がいるし、思想の普遍性を確かめるという点では、むしろ不可欠だ。

もし『資本論』のような大作しか残っていなければ、マルクス主義があれほどまでに力をもつことはなかっただろう。というのも、「夢」を原理に支えることによってしか、私たちは、何かを変革しようという希望や意欲、欲望をもつことはできないからだ(この点については、『自分で考える練習』の第4章で論じておいた)。のちにマルクス主義の構想は独断的であることがが示されたが、ともあれマルクス主義が社会を動かしたのは、何よりもそのことを成し遂げたからだ。