フロイト『性理論三篇』を超コンパクトに要約する

フロイトの『性理論三篇』をコンパクトにまとめました。

詳細解説はこちらで行いました → フロイト『性理論三篇』を解読する

前置き

本書でフロイトは、乳児期から思春期にかけて私たちがどのように身体性・性的体制を形成するかについてのプロセスを示しています。

フロイトを読むときは、仮説とそうでない部分を区別するように注意する必要があって、フロイトの主張を盲目に受け入れるのは問題です。ただ、なるほど感のあるところとそうでないところが比較的簡単に区別できるので、その点ではあまり苦労しないはずです。

用語

本書でフロイトが使っている用語で、聞き慣れない(+紛らわしい)ものをまとめてみます。

  • 性欲動=性的な欲求
  • 性対象=性欲動が向かう人間
  • 性目標=性的な行為

性欲動が向かうことは「備給」といいます。これは本書に限らず色々な箇所で用いられていますが、念のためにメモ。

本書の構え

以下のような感じ。

幼児期から思春期にかけて、性欲動は、母親との原初的な関係(授乳)を出発点として、自愛的な段階、潜在期を経て、思春期になり再度外部に性対象を見出す。

この過程を適切にこなせば、性を正常に形成することができる。だが、もしできなければ、倒錯もしくは神経症になる傾向が高まる。

フロイトにとって、神経症が発症する仕組みは、肩こりのメカニズムと似ています。つまり血流が悪くなると肩が凝るように、リビドーの流れが悪くなると神経症になる、という具合です。フロイトがリビドーを血流と同じような物質的なものと考えていたかどうかは微妙ではありますが。

では早速見ていきます。


目的

私たちの性Sexualitätのあり方について、以下の3つの視点から論じること。

  1. 性的な逸脱
  2. 幼児性愛
  3. 思春期での変化

1.性的な逸脱(=倒錯)

逸脱(=倒錯)に関しては次の2つを区別しておく必要がある。

  • 性対象に関する倒錯
    • 人に関する倒錯(ゲイ、レズビアン、バイセクシャル)
  • 性目標に関する倒錯
    • 行為に関する倒錯(フェティシズム、のぞき、露出など)

性目標に関する倒錯はなぜ起きるのか

性欲動の固着によって。性欲動はリビドーから生じる。

固着は、性対象の過大評価によって、適切な性目標が果たされないときに、別の性目標がそれに取って代わること。それが特定の性対象から離れて、性目標一般となるとき、病的なフェティシズムとなる(下着フェチ、靴フェチなど)。

フェティッシュ的な要素は通常の恋愛でも見られる。しかし倒錯だけが存在し、それに固着するような場合は、これを病的と呼ぶ根拠がある。

「全てのフェティシズムを病的と判断するのは独断的だ」という批判に対する予防線。ゲイやレズビアンを倒錯と呼ぶのは、現代的には多少古さがありますが、本人が苦しんでおり、どうにか対処したいと欲している場合は、これを病気と呼ぶ根拠があると言えるはずです。

性対象の倒錯に関する誤り

典型的な誤りとしては以下のものがある。

  1. 倒錯は先天的か、さもなければ後天的
  2. 身体的な両性性(=両性具有)が倒錯につながる
  3. 「異性の脳」が宿ることで倒錯が生じる

倒錯のきざしは幼児だけに見られる。なので次に、幼児の性欲について見ていくことにする。

2.幼児性欲

幼児にも性欲動はある。覚えていないかもしれないが、健忘されているだけ。

幼児は以下の2つから性的な快感を味わう。

  1. おしゃぶり
    • お母さんの乳を飲んだときの快楽を再び味わおうとしている
  2. トイレ
    • 排便で粘膜が刺激されて得られる快楽

幼児は快感を「自体愛的」に充足する。これはつまり、自分の身体で快感を味わうということだ。

前性器的体制

幼児の段階では性器はまだ発達しておらず、性感帯は性器の領域に限定されていない。こうした段階を「前性器的段階」と呼ぶ。

性的な快感の味わい方に応じて、前性器的体制には2つの段階がある。

  1. 口唇的な体制
    • おしゃぶりはその名残
  2. 肛門サディズム的な体制
    • 能動性と受動性の対立(征服欲と刺激の感受)

後の論文「幼児の性器体制」で去勢コンプレックスに関する記述が追加されて、例の「口唇期、肛門期、男根期」という性的体制の基本的な骨組みが成立しました。

昇華

口唇期~肛門期と来て、一旦性欲動は抑圧される。

抑圧された性欲動は、その場で享受される代わりに、性的でない目的へと向けられる。このプロセスを「昇華」と呼ぶ。昇華によって、嫌悪感や羞恥心、美的・道徳的な理想が作り上げられる。

美的・道徳的な理想が、意識ではなく、性欲動に由来するという直観。特に、美的な対象は意識で知覚するというよりも、感受性で味わうというほうが適切なので、納得感があります(道徳は微妙ですが)。

3.思春期での変化

性欲動は自体愛的でなくなり、他者へと向かう。

また、性感帯が性器を中心に秩序化され、性器の優位が確立される。

性欲動が向けられた他者は「魅力」がある

順序に注意。

その人自身に魅力があって、それをこちらが受け取っているというのではなく、こちらから性欲動が向かうので、その人に魅力を感じるという順序。

前駆快感と充足快感

単純に言えば、オーガスムの快感が現れてくる。これは前性器的体制では見られなかった。

性感帯の刺激から前駆快感が得られる。前駆快感を利用して、オーガスムによる充足快感が得られる。前駆快感は充足快感の前段階。

前駆快感が大きすぎると、そこに固着することがある。

性対象が再発見される

思春期の性対象の選択は、最初の母親とのエロス的な関係に基づき、それを延長する形で行われる。その意味で性対象は「再発見」されるもの。

ここでの問題は、近親相姦の欲求を克服すること。

少年にとっては母親、少女にとっては父親が性対象として映る。しかし社会的には、そうした空想は克服するよう求められる。近親的な対象選択を制限することが社会の文化的な要請(インセスト・タブー)だからだ。